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甲陽軍鑑(上) 1979.09.05.初版発行(2002.08.20.第10版発行)、ニュートンプレス刊、原本現代訳シリーズ所収。
 著:不詳/訳:腰原哲朗。

概要──
 武田信玄・勝頼の二代に渡る事績を記した言行録。上巻には、訳者に依る解題を筆頭に、武田家の家法や大将としての哲学を述べた品第一から信玄の初期の戦いを描いた品第二十三までを収録している。

 「甲陽軍鑑」の内容の内「美味しい」所は、既に小説・歴史書etcに引用され尽くしており、今更原本を読んでも目新しさは無いのですが、矢張り一次資料は迫力が有ります。漢文混じりの文章で活写される生の戦国時代には、小説には無い魅力を感じます。

 但し、訳者の姿勢には些か疑問があります。
 先ず、甲州流軍学のマニュアルとして編纂された「甲陽軍鑑」を捕まえて「女性の視点が無い」「死を肯定する限り思想的限界は見えている」って、アンタw 「戦国時代は大変ですが、女性の人権を守りましょう」とか「命は地球より重いです。死なない程度に頑張りましょう」とか書いてある軍学書が有るとでも思ってるんでしょうか。
 また、「百姓等の弱者への労わりが無い」とか「経済的視点に欠ける」と云う批判にも、無理が有ると思います。我々は後世の視点から見ているから、為政者の弱者の人権に対する態度やや経済政策の成否に目を向けがちですが、封建制の元に暮らす人々がそうした事を気にしないのは当然で、一々批判めかしく取り上げる内容でも無いと思います。こちらも、人権擁護を訴えた軍学書や、金儲けの秘訣が書いてある軍学書が有ったら是非読ませて頂きたいものです。
 それに続く甲陽軍鑑が成功・失敗の原因を全て「崇敬(そうぎょう)」と云う個人の器量に帰してしまうと云う欠点については同意しますが(尤も、これは江戸時代の兵学全般に云える事なんだけどね。そして、長沼流は逸早くそうした儒教的迷妄から抜け出した軍事技術としての「兵法」としてもっと評価が高くてもいいような気も)、他の話はどーにも頂けないものばかりです。
 更に、こうした解題句会で交換された詩には時間を割くのに、合戦や甲州武士の武功の話となるとすぐに省略してしまうと云うのも問題です。折角「原本現代訳」を謳いながら、こーゆー肝心要の合戦部分が省略されてしまっていると云うのは、矢張り「羊頭狗肉」じゃないでしょうか。軍の鏡たる「軍鑑」の名前が泣いてますぜ。

 まぁ、初版が1979年頃なので、態と腐して見せたのかも知れませんけどねw
 なにしろ、1979年頃と云えば「進歩史観」全盛期ですからなぁ……うっかり「甲陽軍鑑超オモロイ、戦国合戦乱捕りマンセー」なんていったら、出版すら危うかったのかも(^^;

 あと、一ヶ所だけでしたが誤訳と云うか超訳が有ったので指摘。

「……明に桟道を修し、暗に陳倉を渡る。(わかりやすい時は「閣道」──けわしい坂にかかる四川省の様な桟道──を渡り、わかりにくい時には陣倉、敵の本陣をつく、の意か。)……(p.100/品第二「信玄公舎弟典厩、子息へ九十九ヶ条の事」)
 ……あのー、「暗渡陳倉」って故事成語ご存知無いですか? 即ち「表向きは桟道を修理して桟道から攻め込むように見せかけ、その裏でこっそり陳倉を奇襲する」って云う三国志演義とかでも比較的有名なシーンなんですが……。

 うーん、「唯物史観」には詳しくても「歴史」には弱いのか?>腰原氏
【総評】:丸呑みせず、注意して服用すればなかなか有用な一冊です。歴史家ワナビー必見。
<追記>
 内容の大半はコレまでに随所で細切れに読んだ内容の再確認なんですが、今川氏真公の扱いの良さは初見だったので吃驚しました。

「……永禄六年(一五六三)に軍を出し、氏真公は三河の吉田に陣をかまえなさったが、その時遠州で飯尾連竜が心変わりして叛き、白須賀の辺りを焼き払った。氏真公は剛勇だったから、さすがに騒がずにおられたが、一万四千の内九千ほどの軍勢の狼狽振りはかなりのものだった。飯尾連竜もまた根の無い急な叛乱だったからすぐに降参となった。氏真公は分別が有り上手く謀反に処したからだが、未熟者だったらだめだったろう。氏真公が剛勇の心をおもちだったから事無きを得たのだ……(p.182/品第十一「鈍過ぎたる大将の事」付「駿州今川家ならびに山本勘介事」)

 いや勿論この後には「氏真は剛勇に過ぎ、朝比奈泰朝等の先代からの優れた家臣が居たのに軽んじ、三浦右衛門佐と云う愚者を重んじて我がままに振舞ったので滅亡した」と続くんですが、氏真を惰弱で無能と云うなら兎も角「剛勇過ぎて無能」と評した文章は初めて見ました。うーむ、新解釈だw
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テーマ:歴史・時代小説 - ジャンル:本・雑誌



コメント
▼この記事へのコメント<(あれば表示)
要するに今川氏真=諏訪勝頼=北条氏政って見方でしょうか?
確かに新しい。
2006/08/15(火) 21:51:58 | URL | by黒木竜 (#-) [ 編集]
 ご賢察!
 正に仰る通りの文脈で、今川氏真を批判する様に見せかけて、勝頼を非難し、今川の奸臣・三浦に仮託して跡部・長坂の両名に翻心を促すと云う内容でした。

>確かに新しい。
 古くて新しい、何か不思議な感じですねw
2006/08/16(水) 14:41:20 | URL | by軍曹@管理人 (#mQop/nM.) [ 編集]
Σ(・・)
まあ、個人の力量に仮託しすぎた体制を構築してしまったのは、信玄・義元のみならず、信長も秀吉も同罪ですからねえ…
2006/08/16(水) 20:25:00 | URL | by黒木竜 (#-) [ 編集]
 まぁ、逆に合議態勢と支城ネットワークを形成し、城下に「足軽衆」を備えて一足お先に中世を脱出した北条氏が、あえなく滅亡した事を考えると、あの時代には個人の力量を最大限に発揮出来る遊牧民族の如き縦割りシステムが必要だったんじゃないでしょうかねぇ。でもって信長・秀吉が独裁体制で均してくれたお陰で、合議体制の徳川幕府が成立し得たんじゃないかなーと。

 そして先週Amazonに頼んだセンゴク1-2が未だに届かない罠。お盆休みを取るなら取るってhpで宣言して欲しかったorz
2006/08/16(水) 22:47:55 | URL | by軍曹 (#mQop/nM.) [ 編集]

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